目次
はじめに
色々あった人生を笑って過ごすことにしました♪
今日は、言葉の選び方が詩人な米津玄師さんを書きます。
光と吐き気のあいだで──米津玄師という矛盾
『Lemon』──喪失の中に残る光
米津玄師を初めて聴いたのは『Lemon』だった、という人は多いのではないでしょうか。私もそのひとりです。
静かに始まる旋律。感情を張り上げすぎない声。そして、あの一行。
「今でもあなたは私の光」
このフレーズに、胸を掴まれた。
『Lemon』は喪失を描いた楽曲。愛する人を失ったあとの世界だ。
それでも記憶は消えず、むしろ心の奥で灯り続ける。だからこそ“光”という言葉が重く響く。
失ったのに、残る。
いないのに、支えになる。
それは単なる恋愛感情を超えた、もっと普遍的な感覚ではないだろうか。
家族でも、友人でも、恩師でもいい。大切な誰かは、姿が見えなくなっても、自分の中に残る。
この静かな余韻こそ、米津玄師の一面だと感じている。
『KICK BACK』──暴れる幸福と違和感
けれど、彼の魅力はそれだけではない。
アニメ主題歌として話題になった『KICK BACK』は、まったく違う表情を見せる。
テンポは速く、ビートは強く、思わず体が動く。ライブ映像を見れば、その熱量に圧倒される。
しかし、歌詞の世界はどこか不安定だ。
努力や未来、幸福を思わせる言葉が並ぶのに、全面的な希望では終わらない。
むしろ、幸福を無理に積み重ねることで生まれる歪みのようなものが感じられる。
甘いものを一気に口へ放り込んだときのような、幸福の過剰摂取。
満たされているはずなのに、どこか落ち着かない。
この感覚は、今の時代の空気に近いのかもしれない。
SNSには楽しそうな写真が溢れ、成功体験が共有される。充実していることが“正解”のように見える。でもその裏で、焦りや孤独を抱えている人も少なくない。
米津玄師は、その矛盾を音にする。
明るいメロディに、揺らぎを忍ばせる。
キャッチーなフレーズの裏に、虚無を置く。
完全な希望にも、完全な絶望にも振り切らない。そのバランスこそが、多くの世代に刺さる理由なのだと思う。
光と吐き気のあいだにあるもの
『Lemon』の静かな光。
『KICK BACK』の暴れる幸福。
この両極を行き来できるからこそ、米津玄師は唯一無二の存在なのかもしれない。
光は、必ずしも強烈である必要はない。誰かにとっての“帰れる場所”であればいい。
人生は、きれいごとだけでは進まない。うまくいく日もあれば、ため息が出る日もある。
前向きでいようとするほど、心が追いつかない瞬間もある。
それでも、不思議と音楽は隣にいてくれる。
うまく笑えない日も、理由もなく不安になる夜も、イヤホンの向こう側で誰かが同じように揺れている。
米津玄師の音楽は、完璧な答えをくれるわけではない。けれど、「揺れているままでいい」と言ってくれるような余白がある。
甘さに酔いそうになりながらも、吐き気と隣り合わせで生きる。
それでも前へ進む。
光と影は切り離せない。幸福と違和感もまた、同じ場所に存在する。
その両方を抱えたまま歩くことが、もしかしたら“生きる”ということなのかもしれない。
えむの一言
色々あった人生を、笑って過ごすことにしました。
強くなくていい。完璧じゃなくていい。
泣いた日があっても、遠回りした時間があっても、それでも今日ここに立っている自分を、少しだけ肯定できたらそれでいい。
「あなたは私の光」と言える人がいることは幸せだ。
でも同時に、自分もまた、誰かの小さな灯りになれていたらいいなと思う。
派手じゃなくていい。まぶしくなくていい。
帰りたくなったときに、ふと思い出してもらえるような、そんな存在でありたい。
光と吐き気のあいだで揺れながら、
それでも、今日も笑っていきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪
えむでした🙋♀️

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