色々あった人生を笑って過ごすことにしました♪
今日は、岡山弁が素敵なこの人!藤井風さんを書きます。
目次
- 藤井風との出会いは、自然と心に入ってきた
- 「きらり」と、あの頃の自分
- 朝に流れる、少しだけ特別な時間
- 「満ちてゆく」で気づいたこと
- 「grace」と、受け入れるということ
- 藤井風が見ているもの
- 終わりを見つめて、今をどう生きるか
- えむの一言
藤井風との出会いは、自然と心に入ってきた
最初に藤井風さんを知ったのは、CMだったのか、それとも紅白だったのか。 はっきりとは覚えていないけれど、 自宅で鍵盤を弾きながら歌う姿に、強く惹かれた。
ただ上手いだけじゃない。 音楽そのものを楽しんでいる、あの自由な空気。 それがとても印象に残っている。
SNSで彼の背景を知り、実家がジャズ喫茶であること、 幼い頃から音楽に囲まれて育ってきたことを知った。
中学生の頃はピアノが弾けることを少し恥ずかしく思っていたという話もあるけれど、 高校生になると人前で自然に演奏するようになっていた。
その頃の映像を見て、 この人はずっと音楽とともに生きてきたんだと感じた。
「きらり」と、あの頃の自分
「きらり」は、営業の仕事をしていた頃、 車の中でよく聴いていた一曲だ。
走りながら、ふと 「このままどこかへ行きたい」と思ったことがある。
爽やかなメロディの中に、 どこか自由への憧れがあって、 あの頃の自分の気持ちに寄り添ってくれていた。
朝に流れる、少しだけ特別な時間
最近は、朝にテレビをつけるのをやめた。 なんとなく面白くないなと思って、 代わりに音楽やYouTubeを流しながら身支度をしている。
今朝は藤井風を聴いていた。
英語の楽曲はどこかジャズのような空気があって、 静かに流れているのに、部屋の雰囲気が少し変わる。
最近では英語詞の楽曲も増え、 言葉の枠を越えて伝えようとしているようにも感じる。
気づけば、 「なんか、ちょっとオシャレじゃない?」 なんて思いながら支度をしている自分がいた。
そんな小さな変化だけれど、 朝の時間が少しだけ心地よくなる。
「満ちてゆく」で気づいたこと
若い頃の私は、ずっと「足すこと」を考えていた。 足りないものを埋めるために、もっと、もっとと求め続けていた。
けれど、それには終わりがなく、 気づけばどこかで疲れていた。
そんな私に深く響いたのが「満ちてゆく」だった。
足りないものを足すのではなく、 手を離すこと、執着を手放すこと。
そうしたときに、はじめて満ちていくという感覚がある。
その意味が、自分の中でようやく腑に落ちた。
「grace」と、受け入れるということ
「grace」もまた、深く心に残る一曲だ。
頑張りすぎなくていい。 無理に抗わなくていい。
すべてを受け入れることは、 弱さではなく、強さなのだと感じる。
藤井風が見ているもの
藤井風さんって「生きる」を歌っているように見えて、 実はずっと「終わり」を見ている人なんだと思う。
しかもそれは、重たいものではなくて、 とても静かで、当たり前のものとしてそこにある。
「旅路」で人生の流れを描き、
「まつり」や「花」で今この瞬間の命の輝きを映し出し、
「grace」で執着を手放し、
「満ちてゆく」で満ちることを知り、
そして「帰ろう」で、最後に還る場所へと向かう。
愛だし、優しいし、大きい……。
その優しさは、ただ人に向けられたものではなく、
「すべては巡るし、やがて終わる。 それでも大丈夫。」
そう静かに伝えてくれるような、 大きな安心感のようなものだ。
だからこそ、聴いていてどこか安心するのかもしれない。
終わりを見つめて、今をどう生きるか
60歳を過ぎてから、 私は「どう終わるか」を考えるようになった。
その終わりを見据えたときに、 今、自分はどう在りたいのか。
何を持つかではなく、 どう生きるかでもなく、 どう在るか。
それを考えるようになった。
藤井風さんの音楽は、 そんな問いに対して答えを押しつけることなく、 ただ静かに寄り添ってくれる。
えむの一言
もう無理して何かを足さなくてもいい。
手放していくことで、 人はちゃんと満ちていく。
終わりを見つめることは、 怖いことではなくて、 今を大切にするための優しさなのかもしれない。
私は、私のままで、 静かに満ちていこうと思う。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪
えむでした🙋♀️

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